【レポート】加藤直さんと菊地徹さんのトークイベント開催しました!

 

先日2/24の土曜日、『ミステリヤ・ブッフ』の関連企画として「加藤直さん×菊地徹さんトークイベント」栞日 で開催いたしました。

【関連企画】加藤直さん×菊地徹さんトークイベント開催!

2018年2月2日

加藤直さんは、我らがまつもと演劇工場の工場長。
菊地徹さんは、今回、栞日さんのオーナーであります。

栞日はまつもと市民芸術館から西に80メートルほどの所にあるブックカフェで、いたるところに菊地さんのこだわりや気遣いが詰まっていて、
大事に使われた可愛いテーブルや椅子や本棚、そこに差す日の光がとても気持ちよく、清々しい気持ちにしてくれます。

この日は演劇工場のメンバーを含め15人ほどのみなさんが集まってくださいました。

 

 

お互いの質問を事前に用意し、フリートークのように語っていただくという今回のイベント。

時間もたった一時間しかなく、話も膨らんでしまったため、(それも面白かったのですが 笑)

今回は、実際のイベントでは話しきれなかった、事前にいただいていた質問と回答を改めて紹介しようと思います。

 

菊地徹さん→加藤直さんへ

 

菊地徹
Q 直さんは、その仕事がら、常に20代、30代のいわゆる“若者たち”と一緒に創作活動なさることも多いと思います。

かつての“若者”と近頃の“若者”、直さんからの眼からはどう写りますか、どう違いますか。

僕らの「感受性」はまだまだ捨てたもんじゃないですか?

いまの“若者”に直さんから期待あるいは叱咤激励を。

 

加藤直
A 菊地さん あなたには捨てたもんじゃない「感受性」を感じます。だから期待します。

が、モノと情報そして「通信器がこれ程溢れ便利になった現在 それはそれでそういうデジタルを生活スタイルを(疑いなく邪気もなく)取り入れて楽しむ若者(いやオジサン・オバサン含め)が沢山いてもおかしくない時代ですが

しかしそれは同時に 人間を(想像力なんていらないよ!)と無個性化・画一化・記号化へ向かわせ 国家というシステムにイイダクダク 従っていく人を今後ますます生むのではないだろうか と思う訳です。

「自由」という言葉さえ死語となっていくのでは と。

それに対し 貴君は「本」「言葉・字」とコーヒーを楽しむ「人々が出会う場所」というアナログを基本に置き対話や会話を目論んでいる と。

感受性や他者と出会うことで 盲目的に機械化されていくことに反抗する少数派であるアナタに興味を持ち応援するユエンです。

 

菊地徹
Q 直さんやまつもと市民芸術館芸術監督である串田さんが常々トライなさっている劇場と街の境をなくす演劇にいつも心震えます。

いま改めて、直さんにとって「劇場」とはなんですか

「街」とは何ですか。この先、劇場と街がどんな関係で結ばれていくことを願っていますか?

 

加藤直
A ボクは「旅」というロマンチックな響きのものより「道」にずっと想いをこめてきました。
何故か(見知らぬ処)へ向かう途中の道です。いつもいつも途中なのです。

「劇場」は理屈っぽく言うと 日常と非日常の見知ったものと見知らぬものの 怖い快楽と平穏無事の 定住と非定住(流浪)の 境界にあるのではないか?とボクは想定して やってくる芸能去っていく夢「劇場」にこだわってきました。

さて そこで 「街」です。

ボクにはこの「街」大変厄介な概念なのです。日常。ボクにとって日常とは何か?

飛躍しますが 栞日で窓辺にすわり本を読んだり原稿を書いたりするのが好きです。
ひょいとそこの窓の外に友人や仕事の仲間が掛かり窓をコンコンと叩き挨拶し 本や原稿の途中に 会話するのも実に楽しい。

昔 横浜(ボクが生まれ育った処)で通っていたジャズ喫茶「ちぐさ」(あの伝説の)を想い出します。ただし「ちぐさでは日常会話をおこられましたが。伝説のマスターに。

強いて言うと ボクにとって「街」は日々をより多く過ごす見慣れた風景ですが見慣れ過ぎるのを用心して ひょいひょいと「異化」をおびきよせることの出来る場に企みたい処ー面倒な言い方で恐縮ーとでも?

 

加藤直さん→菊地徹さん

 

加藤直
Q この「今」という時代はモノや情勢なんでも一見溢れているようだが過剰が「不在」をうむ時代ではないだろうか?

不在を欠落 或いは自分の中にポッカリ空いた「穴」と言ってもいいでしょう。
どこかに置き忘れた忘れ物や落し物。

貴君はこういう「不在」を感じるモノを持っていますか?それは何でしょう?落し物は何ですか?

 

菊地徹
A 「不在」「落し物」「心の穴」… これらを抱えないように、注意しながら生活しています。

モノに所有しすぎないように、情報を摂取しすぎないように…信頼できる場所でモノを見て選び、信頼できるメディア(僕の場合は主に新聞と書籍)から必要な情報を得るようにしています。

視点や価値観が偏りすぎないように、合わせて注意しながらも、均一化、均質化に向かう世界だからこそ、「積極的に」偏りたい、とも考えています。ということで幸い、今のところ「穴」は所有していません。

 

加藤直
Q 菊地さん 動物(そして人間以外のモノ)に生まれ変わらなけけばならないとしたら 何になりたいですか?それは何?何故?

ちなみにボクは帽子になりたいな。

 

菊地徹
A 植物が許されるのなら駅前や公園の広葉樹

葉を茂らせ、葉を落とし、土の体の一部を戻し、それをまた体の一部に取り入れる。
季節の移ろいを幹や枝先で感じつつ、その街や場所の歳月の流れを見守ることができるから。

自然物ではなく人工物という縛りであれば、ほぼ同じ理由から時計台や石像、道祖神とかがいいですね。

 

加藤直
Q 最近 何だか変だぞおかしいぞ と思うことに出合いましたか?

それはどういうことですか? どうして変だと?

 

菊地徹
A これまた「変だぞ」と思わないように気をつけてることの話になってしまいますが…

自分が少数派(マイノリティ)であることを常に忘れないように注意しています。

自分が正義だと勘違いしてしまうと、他者に対して押し付けがましくなってしまうし、伝えたいことや届けたいことをむしろ伝えられなくなってしまうから。

世間一般のメインストリームとは別の風潮に自分や自分たち同志と呼べる仲間たちが所属していることを自覚しつつ、(そうしないと必要以上に傷付くこともある…)

自分たちが伝えたいことを正しく粛々と伝えていくためにはどんなアプローチが最善手か、静かに考えるようにしています。

 

 

と、いう内容の質問の回答を事前にはこちらでいただいていたんですね!!

本当はこの関連企画、「松本と〇〇」というテーマで進めて始まったイベントだったのですが、
当日はとても普遍的な、それぞれの在り方に突っ込んだ内容のものとなりました。

お二人の語られる内容が、このまつもと演劇工場でずっとキーワードとして抱えているものが散りばめられていて、
(もちろん今回の「ミステリヤ・ブッフ」でモチーフになっているものも)

この時間が栞日にいる方みんなで演劇工場の稽古場になったかのようでした。

 

 

加藤さんは栞日によく通われてますが、こんな風にじっくり、菊地さんとお話をしたことがなかったそうです。

世代も生き方も違うお二人の話に、それぞれ、そして聞いてる私たちも頷きながら、考えて、共感したり、改めて疑問を持ったり、

たまたまお二人がこうしてこの時間、この「松本」っていう街と出会ったからこそ、実現した時間だったな…と思いました。

今回、登壇してくださった菊地さん、本当にありがとうございました!

 

 

さて、こちらまつもと演劇工場6期生作品『ミステリヤ・ブッフ』、幕があがるまで残り一週間となります!!

この7年、演劇工場で追い求めていたモチーフが、言葉が、ぎゅっと詰まった作品です。

加藤さんの話を聞いて私たちは、託されているものをひしひしとこのイベントや稽古場でのひとつひとつの言葉で感じることがあります。

きっとそれは私たちだけはできなくて、劇場で皆さんと出会えた時に、もっとみたことのない何かに展開していけることを期待します。

ぜひ、みなさま、ご一緒に劇場でお会いできましたら。

お待ちしております。

 (6期・広報制作)



まつもと演劇工場メンバーによる「ミステリヤ・ニッキ」です。
ミステリヤ・ブッフについての詳細は「公演情報」ページをご参照ください。

まつもと演劇工場6期生・作品『ミステリヤ・ブッフ』

2018年1月19日