ミステリヤ・ニッキNo.13(みね)

今こそ
砲弾を
美術館の壁に
炸裂させる時だ
喉の百インチ砲で
古いものを狙撃せよ

ウラジーミル・マヤコフスキー

今回は、1917年に起こったロシア革命前後に生きた一人の芸術(文学)おとこについて書こうと思います。

1910年頃

ソビエト(現ロシア)では、ヨーロッパの各地で若い芸術家が一斉に決起し、伝統と制度の破壊を口々に叫んだ。
キュビズム、ダダイズム、未来主義、シュルレアリズムがソビエトに押し寄せた。
これが、ロシア・アヴァンギャルドである(ちなみに、アヴァンギャルドとはフランス語を起源に持つ軍事用語である)。

〈左後ろ マヤコフスキー、右前 メイエルホリド〉

芸術家と国家の戦いと妥協のダイアローグ。
その後1917年に起きたロシア革命が契機となり、芸術家たちは勢いを増し、1930年頃までこの活動は続いた。

そして、この中心にいたひとりが、ウラジーミル・マヤコフスキーだ。

ロシア革命1周年の記念としてペトログラードの劇場で上演されたウラジーミル・マヤコフスキーの戯曲『ミステリヤ・ブッフ』は、怒涛のように押し寄せた十月革命(※1)を、旧約聖書に描かれたノアの洪水に例えた。

清潔な人々である[ブルジョアジー]と不潔な人々[プロレタリアート]が革命の「大洪水」に襲われ、方舟に同乗し、ともにアララート山を目指す。
だか、「不潔な人々」は、「清潔な人々」を次々に荒海に放り出し、力を合わせて約束の地へたどりつく。

聖なるものと俗なるものが互いに反転し合う革命のカーニバル的気分を伝える祝祭劇だ。
だが、この上演が華やかにかざりたてられた記録は公には残ってない。

ロシア革命後

マヤコフスキーは作品発表や活動を続けていたが、一挙一動が国家政治保安部の監視対象となっていた。秘密警察員にも監視されていたという説がある。

そして、1930年4月14日、モスクワ内務省脇にあるルビャンスキー横町で自殺をしたと言われている。だが、暗殺されたという説もある。


ユートピアの実現を目指したロシア革命はなぜ生まれ、挫折したのか。100年経った現在もまだまだ解明がされていないように思います。
また、「ロシア・アヴァンギャルド」に関わっていた芸術家たちは、芸術の西欧化を拒む一方、日本の文化に興味を持っていたという噂もあるようです。

(『ロシア・アヴァンギャルド』亀山郁夫著(岩波新書)を参考に、個人的にまとめたものです)

(みね)


※1 ロシア革命は、ロシアで1917年に起きた一連の革命。3月(ロシア旧暦2月)に当時の首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で起きた民衆のデモやストライキが全土に拡大。
ニコライ2世は退位しロマノフ朝は崩壊、臨時政府が発足した(二月革命)。
その後、兵士や労働者の代表機関ソビエトが勢力を拡大。
11月7日(ロシア旧暦10月25日)にレーニン率いる社会民主労働党ボリシェビキが武装蜂起で臨時政府を打倒し、社会主義政権を樹立(十月革命)。
史上初の社会主義国家ソ連の誕生につながった。(https://www.jiji.com/jc/article?k=2017110500340&g=thaより)



まつもと演劇工場メンバーによる「ミステリヤ・ニッキ」です。
ミステリヤ・ブッフについての詳細は「公演情報」ページをご参照ください。

まつもと演劇工場6期生・作品『ミステリヤ・ブッフ』

2018.01.19