まつもと演劇工場

ミステリヤ・ニッキ おまけ編(ゆたか)

こんにちは、深沢です。演劇工場は3期から5期まで参加していました。
演劇工場ホームページの管理者という特権をいかんなく発揮し、こっそり記事を書きたいと思います。

今期、残念ながら私はスケジュールの都合で演劇工場に参加出来なかったのですが(この間までやっていた白い病気の方に出演していました)、時間のあるときは工場をちょくちょく覗いていました。

今の形式のまつもと演劇工場は、今期を持っていったん区切りをつけるそうです。ミステリヤ・ブッフのチラシに「7年間の集大成」とあるように、今回の公演は、これまでの工場の積み重ねを体現しているものではないかと思っています。

「ニッキ」らしく、少し個人的な事を振り返ってみます。
僕が演劇工場に関わったなかで、一番古い資料を探すと2014年の8月の写真に行き当たりました。工場に参加するときの履歴書をコピーとして撮ったものです。どうやらこんな事を書いていたみたいです。

<この企画に参加したいと思った理由、やってみたいこと>

まつもと市民芸術館で「ピーピングトム」「もっと泣いてよフラッパー」そして「いないいないバードまたきて漫歩」を観劇していく中で大変刺激を受けました。私はこれまでゲームの世界で画面とコントローラーを通じてプレイヤーと対話する物語をつくる仕事をしてきましたが、自分も松本の舞台の上で、工場の方と観客のお客様とでモノをつくりあげていく事ができないかと思い応募しました。
私は演劇の経験はありません。また企画やシナリオの作成も独学のため、ワークショップを通じて学びを得ることができたらと思っています。

今振り返ると相当に生意気という感じですが、熱意だけはありました。逆に言うとそれだけでした。演劇の経験はおろか、舞台を始めてまともに観たのもこの年でした。その理由も「家から芸術館が近かったから」というものです。

最初は、演劇というモノを知りたいという知識欲の方が深かったと思います。
14年、芸術館で串田さんのフラッパーと直さんの演劇工場を観て衝撃を受けた僕は、自分がそれまでまったく触れてこなかった演劇という分野で「面白い世界」を作り出していることに衝撃を受け、それをどうやって作り出しているのか、その魔法の、その仕組みを知りたかったのです。

まつもと演劇工場という場所が、演劇経験者が優遇されような所なら、優位性がある所なら、僕の居場所はなかったことでしょう。
しかし、工場は違いました。そこに求められていたのは、演劇という世界に飛び込む事へのある種の「覚悟」、あるいは「無謀さ」だけでした。

演劇工場は9月からワークショップがはじまり、3月に公演があります。僕が参加したのは2014年の9月ですから、2015,16,17,18と4年、公演に居合わせた事になります。
4年が経ち、その世界の仕組みがわかったかと言えばその逆で、かえってその謎が深まっているというのが率直な気持ちです。
しかしそれは、とてもイイコトなのだと思います。

当時は、まったく演劇のことも知らない素人だった自分の中に、これほど演劇が深く関わってくるとは思ってもいませんでした。
もしあの時、工場のような場所が無ければ自分が演劇にここまで関わることもありませんでした。

僕にとっての工場の価値はまさにこれで、自分と同じような経験をしてきた工場メンバーがたくさん居ることも、僕は知っています。

演劇というのは泥臭いものです。ニッキには工場メンバーのキラキラするような眩しい言葉が沢山綴られていますが、もちろん、騙されてはいけません(彼らは俳優ですから!)、実際はそんなキレイゴトだけでは舞台はつくれません。

前日に飲み過ぎたり、眠れなかったり、ケンカしたり、ダメ出しに凹んだり、空腹が不安になりすぎて食べ過ぎてしまったり、またその逆だったり、台詞が飛んで頭が真っ白になったり、思わぬメンバーの思わぬミスに動きが止まったり、フォローしたり。
そんなときはやはり苦しくなりますし、キタナイ言葉も吐きたくなります。

一度、幕があがってしまえば舞台の上に立つのはプロもアマも中間も関係ありません。ただ役者たちがそこにいるだけです。

僕は、どのような種類の公演であろうとすべからく、同じ様に、公演が始まる10分前、袖で待機している時は緊張します。
何故自分がここにいるのだろう、この緊張の源、ここに来るに至った理由はなんだろうと思います。
この表現手法が限りなく沢山ある現代で、何故演劇というアナログで面倒くさい事をするようになってしまったのか。自問自答を繰り返します。

でも結局の所、まだ結論は出せていません。
近いものがあるとしたら、この肉体を使って物語を伝えると言うことは、ある種の人としての営みの本能である、と思い込むようにするぐらいです。

最後に、ちょっとだけ二つの戯曲のことを。
白い病気の初演は1937年。二回目の大戦の始まりを予見させるものでした。お話で群衆は「戦争を!」と叫び、平和の呪いを振りまいたガレーンは狂乱する群衆達により殺され、世界は破滅への道を突きすすむ事になります。
https://www.mpac.jp/?p=24775

ミステリヤ・ブッフの初演は1918年。ロシア革命(十月革命)を祝うため書かれた祝祭劇でした。反戦と平和を訴える市民の運動(二月革命)からはじまったそれは、「パン・土地・平和」を掲げたボリシェヴィキにへと発展し、「革命」を成し遂げることになります。

つまり戯曲の執筆順とすれば「ミステリヤ・ブッフ」→「白い病気」となり丁度逆になるのです。

これを絶望的な未来として受けとることは容易でしょう。

僕の考えは少し違います。
僕はこれらの戯曲それぞれが、我々の前に提示された選択肢ではないかと考えています。

テキストと何度かの通し稽古を観て、まつもと演劇工場の「ミステリヤ・ブッフ」は希望の物語である、と僕は受け止めています。
その希望は、白い病気のもう一つの選択肢であり、僕がまつもと演劇工場に抱いている種類の希望と極めて近いものである、と思います。

さあ、劇場へ!
僕も客席から、役者たちの勇姿を――ユニコーンと共に目撃したいと思います。

(ゆたか)



まつもと演劇工場メンバーによる「ミステリヤ・ニッキ」です。
ミステリヤ・ブッフについての詳細は「公演情報」ページをご参照ください。

まつもと演劇工場6期生・作品『ミステリヤ・ブッフ』

2018年1月19日
モバイルバージョンを終了